KAMIJO・Sang Project Act VI Live Tour 2019 “Symphony of The Vampire”@東京キネマ倶楽部

KAMIJOのSymphony of The Vampireツアー2日目、東京キネマ倶楽部


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既に書いたように、前日の柏公演があまりよくなかったので、どうなることかと思っていたが、2日目のこの日はいいライブだった。


目次


セットリスト

Presto
Sacrifice of Allegro
Royal Tercet
Tresor (SE)
BASTILLE
Emigre
Delta -Interlude-
Castrato
幻想トリアノン
Louis 〜艶血のラヴィアンローズ
闇夜のライオン
Dying-Table
Sonata
満月のアダージョ
Throne(途中まで)
Throne(SE)
運命(途中まで)
Throne(続き)
Throne(SE)

Presto(室内楽バージョン、音源)


Dead Set World
Moulin Rouge
Vampire Rock Star
Sang 〜君に贈る名前〜
Nosferatu

Throne(SE)
Theme of Sang(音源)


長々とライヴ感想

演出やストーリーなどのライヴ進行も、KAMIJOのコンディションもよくて、去年のクオリティに戻っていた。

KAMIJOは集中状態だけでなく歌も普通によかった。たった1日でこんなにもコンディションが変わるとは思えないので、柏公演との感じ方の違いは単純に会場と私の耳の相性によるものなのかもしれない。思い返してみると、私はVersaillesのときから柏PALOOZAでいいライヴを観たと感じた記憶がほぼないので、あのライヴハウスの音だか音バランスが好きではないのかも。

前日の柏では、楽器隊を合わせた音のバランスがぐちゃぐちゃだったように聞こえたけれど、キネマは普通によかった。Anziのギターも正しい音量で聞こえたし。



演出というかシナリオも、前日より断然よかった。基本的には去年のSangツアーと同じく、ステージに映像を流し、要所要所で声優の演技が入るスタイルだけれど、その内容がSangツアー時とは変わっていて、新章が始まったんだなーって実感した。

正確には、Symphony of The Vampireは過去作品でありむしろ原点なので、ほんとうは新章でもなんでもないんだけど。これからのツアーでシナリオがどう変わっていくのかな、と純粋に楽しみに感じられた。前日の柏のライヴを観た後は嫌な予感しかなかったが、無事払拭されてよかった。


この日のカストラート入り前には、ちょっとした新しい演出があった。こういう新しい仕掛けがあると、複数公演観るツアーも楽しめるな、と思える、嬉しい演出。

それまで、効果音や声優さんの声は会場前方のスピーカーからしか流されていなくて、それは私が観た去年のライヴでもおそらくそうだった。でもこの日のカストラートのイントロ(Delta -Interlude-部分)のラストでは、マリー・テレーズの叫び声だけが突然フロア後ろから聞こえてきて、かなりびっくりした。

あの叫び声を聞いてから数秒間、私は全く寒くもないのに両脚からぞぞぞっと寒気を感じて鳥肌が立つという謎の経験をした。脚に鳥肌って立つんだね。今日の冒頭で流れた、娘を亡くしたマリーアントワネットの悲痛な叫び声にしてもそうだけど、美しい声の女性の悲鳴には、その場の空気を全て持っていくだけのパワーがあるのだということを実感した。


ちなみに、この日はLouisの間奏部での、昨年からの引き続きの声優演出のときにも、サンジェルマン伯爵だかベートーベンだかの声だけがフロア後のスピーカーから聞こえてきて、それを聞いた瞬間もまた鳥肌が立った。

ライヴで鳥肌が立つことなんて普段ほとんどないのに、去年からのKAMIJOの演出では同じところで何度も鳥肌を立てている、単純な私である。先がわかっているのに、このLouisの演出には何度でも繰り返し心を動かされてしまう。なんなんだ。


カストラートの話に戻ると、この日は、マリー・テレーズのこの悲鳴と、そこに至るまでのシナリオと、カストラートという曲自体、全てがぴったりはまっていたのがまたよかった。

カストラートのイントロのあの不穏さ、恐怖や終幕がひたひたと忍び寄ってきている雰囲気。それが今日のストーリーの流れの中ではとてもよく生きていて、映画音楽感というか、極めて適切なBGM感があった。また、本イントロの拳部分に入る直前の、あの一瞬の音圧というか、圧倒感も元々大好きなんだけど、この日はセリフからの流れの中でその部分がちゃんと存在感を出していて、最高だった。一連の流れに完全に心を持っていかれて、茫然としちゃって、拳を上げる気にならなかった。

カストラートのイントロから曲前半にかけてのKAMIJO自身も結構よかった。重苦しいストーリーの世界にしっかり入り込めていて、曲に負けないだけの謎な迫力と、妖しさがきちんと出せていた。カストラートはあまりにも世界観が完璧な曲なので、前日みたいにKAMIJOの気が抜けている状態で臨まれると実に最悪なカラオケ仕上がりになって興醒めだが、これくらいいい状態で歌ってくれると非常に見応えがある。



しかしながら、この日のキネマでのいいライヴを観てもなお、声優のセリフでストーリーを進めていくという去年からの演出は、やっぱりSymphony of The Vampire曲よりもSang曲の方に合っているような気がまだしてはいる。

Symphony曲は、元の曲の歌詞自体でかなりの情報を説明してしまっているから、そこにさらに演出を足すとくどくなる。

今日の本編後半のThroneも、歌自体や、Throne→運命→Throneの流れや、雨の中でたった一人で唐突に人生演歌(運命ね)を歌い出す演出自体はとてもよかったし、私はああいうKAMIJOが大好きなのでかなりテンションが上がったけれど、セリフに関してはかなりくどく感じられた。心臓をガラスの玉座に載せるくだり、もう十分に歌詞で説明しているから、敢えて劇場型のセリフでまた同じ説明を重ねる必要ないじゃん!っていう。

その点、アルバムSangの要の曲、カストラートやSang IやSangIIには、あのセリフを合わせた演出がとても合う。Sang曲だと、例え曲の途中でセリフを挟まれても過剰に感じない。オリジナルの音源だけでは表現し足りていない部分を、映像とセリフで正しく補えていて、過不足がない。

やっぱり、表現というのは微妙なバランスがほんとうに大事なんだろうなあ。難しいね。



他、ストーリーや声優の演出云々から離れたところでは、この日は幻想トリアノンがとてもよかった。

この曲、別に好きじゃないんだけど、キネマで観るとなぜかめっちゃいい仕上がりになることがあるんだよね。2014年の初ライヴで観たときもそうだったし、2018年頭の信念會のときもよかった。音源より生の方がいい。あの曲の持つ、静かな劇的さがあの会場に合うんだろうか。

最近のKAMIJOライヴは映像や声優のセリフありきで考えてしまいがちだけど、この日の幻想トリアノンにおいては、シンプルに曲自体と歌と演奏と照明だけで、十分いいものが表現できていた。


あとは、この日もSang IIIは歌われず、アンコールで歌われたのは日本語版のSang〜君に贈る名前〜だった。

私は日本語版よりも元のSang IIIの方が断然好きなので、そっちを歌って欲しいのだが、この日の曲前のMC(今回、ルイ17世の虐待シーンを初めて明確に描いたのは、虐待のない世界を作りたいからだ、という非常に唐突なもの)からすると、今ツアーでは日本語版しか聴けないかもしれない。

前に書いた通り、この日本語版Sangの歌詞は、KAMIJOが描いているルイ17世の虚構ストーリーの文脈で聴くと、というかLouisの例の演出の後に聴くと非常によくて感動的ではある。しかし、この曲の歌詞を現実世界にまで一般化すると、かなり微妙というか、正直言ってやばめの内容なので、それを虐待根絶の祈りをこめて歌われても全く理解し難いし、冷めた目で眺めるしかなくなってしまう。

ウェブインタビューで、KAMIJOは「この歌の少年は自ら死を選んだわけではないから、そこだけは誤解しないで」みたいなことをはっきりと言っていたが、そう言われて再度歌詞を読んでも、やはり自ら死に向かって行った者(外圧によって死に向かわざるを得なかったとしても、現象自体は同じである)と、その決断を美化する内容としか私には解釈できない。

まあ、犠牲の愛が大好きで得意なKAMIJOと私では根本的な価値観が違うのでそこは仕方がない。それはわかってはいるのだが、この手の話は虚構のストーリーの中でだけ完結させて欲しい、現実的な文脈で話し出さないでくれ、わけわかんなくなるから、というのが私の本心である。


しかし、その「虐待のない世界を作りたい」という文脈の中でSang〜君に贈る名前〜を歌った後に、「皆でつくっていきましょう、理想世界を!」的なことを言ってノスフェラトゥに入ったのは面白かった。

だってノスフェラトゥのいう理想世界って、自らの信じる教義を貫くためには世間一般の倫理や道徳に背いてもよいとするやばい思想に基づくもので、KAMIJOが日本語版Sangの前にMCで言っていた虐待のない理想世界とは、ある種真逆のものだから。

この日の前半のセリフにあったように、サンジェルマン伯爵は、自らの理想を実現するために、罪のない子供を誘拐させてルイ17世の身代わりとして幽閉し、虐待の末に殺してしまうことをもいとわない、端的に言ってやばい奴なのである。

ノスフェラトゥは、そんなサンジェルマン伯爵ルイ17世がタッグを組んだ時の狂信的なかんじがとてもうまく表現されていて、勢いがあって好きな曲だけど、この日のように現実的な文脈の中で歌われると、どうしても「えっ」となる。


まあ、この日のカストラート演出にしてもそうだけど、あまり曲自体のオリジナルの歌詞だったり世界観だったり立ち位置だったりに固執しすぎないで、その曲の持つざっくりした雰囲気や、断片的な歌詞のキーワードから他へつなげていく方が、新しく展開を広げていくことができるという意味で正しいやり方だとは理解できる。

だけど、やっぱり私は、一つのライヴの中では一つのストーリー世界だけを見せて欲しいし、アンコールだからといって、ストーリーに強く紐付いた楽曲を無理に現実世界と結び付けないで欲しいと思ってしまう。

私が観に来ているのは、あくまでKAMIJOの作り出す虚構の世界の話だから。彼の個人的な願いは、歌詞やストーリーに込めて世の中に発表してくれればそれでよくて、あれだけ濃い世界観のライヴ中に、現実世界の話を無理のある文脈で混ぜ込まれても受け止め方に困る。



まあ、全般的にいいライヴだっただけに、細部について思うところはあったが、とにかく柏の後に感じた不安が消えて、このままこのツアーも楽しめそうかなと思えたのはよかった。

オーケストラライヴもほんとうに楽しみ、キネマの状態を保ってやれれば大丈夫。オーケストラアレンジには何の心配もしていないので、当日のオーケストラといつもの楽器隊と歌の音バランスがまともであることと、KAMIJOが自分の歌に集中できていることを祈る。

Epic Rock Orchestra追加公演のときのようなことになりませんように。頼むぞKAMIJO!


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