BUGY CRAXONE 「じきにスターダスト」

BUGY CRAXONEというバンドの話を久々にします。


2018年の10月に発売された、BUGY CRAXONEのアルバム「ふぁいとSONGS」。
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このアルバムに収録されていて、私が発売当初から好きだった曲が「じきにスターダスト」。

じきにスターダスト

じきにスターダスト


この曲の2番のAメロの歌詞がこれ

平成だっておわるし オリンピックもくるというのに
わたし去年のハンドクリーム やっと使い終わるところよ

いい歌詞ーーー

こういう歌詞をさらっと書いて歌えるすずきゆきこと、それを世に出してくれるBUGY CRAXONEが私は大好き。


このアルバムの発売日は2018年10月、平成30年の秋。その時点で、翌年の4月30日を最後に平成が終わることと、そのさらに1年後には東京でオリンピックが行われることが決まっていた。(実際にはその後、オリンピックは一年延期になったけど)

ある国で概ね数10年に一度しかない年号の切り替え時期が近づいてきており、
4年に一度しかない世界的なイベントがその国にやってくる日も近づいてきており、
一方で、わたしは去年使っていたハンドクリームを今年もまだ使っている。

世間は翌年以降の予定された未来に目を向けているのに、自分はやっと去年の続きを終えるところ。個々人の生活は大きな節目もイベントもなく淡々と続いているし、この後も続いていくのだ、と歌っている歌だと解釈している。人生は生まれてから死ぬまでずっと続いていて、一個人の前ではたった一年の節目すら曖昧だというのが現実。

社会や世間から個人へ、数10年や4年から1年単位へ、という視点転換を促すのに、「やっと去年のハンドクリームを使い終えた」という、誰にでもありそうな身近さでめちゃくちゃ瑣末なモチーフを選んでいるところがさすがだし、すずきゆきこらしいなと思う。


でもって、曲を全部聴き終えてから曲のタイトルを見ると「じきにスターダスト」なんですよね。

ここで急にまた時間の幅が変わっている 。和暦が変わる数10年、オリンピックの4年、同じハンドクリームを使い続けていた1年、ときて、タイトルでは一個人が死んで星屑になるまでの数10年へ。対象は一個人のまま、ログでプロットした方がよいってくらいスケールが大きくなっている。ちなみに曲自体も、「人生なんてかんたんだ」と長期の俯瞰視点になって終わっている。

すずきゆきこは、BUGY CRAXONEの何度目かの路線変更後に突然、日常のささやかな暮らしに立脚した歌詞を書くようになったんだけど、この曲もその一部だと思う。「シャララ」で「生きることは暮らすこと」と歌っていたように、一日一日をどうにかこうにか越えていくうちに誰もが未来に到達し、それが積み重なって人生になる。

前作収録の「シャララ」もすごく好きな曲です。




ブージーラクションは、10代〜20代前半の頃の私にとっては主に下北沢SHELTERで爆音とシャウトを聴きに行くバンドだったけど、ここ数年は主にすずきゆきこのありがたいお言葉を浴びるためのバンドとなっている。

メジャーファーストシングルで初めて知って好きになったときからメンバーが何度も変わっているし、数年ごとに音楽性もどんどん変わるけど、すずきゆきこがこの調子で歌詞を書いてくれている限り、私はたぶんこのバンドがずっと好きですね。

BUGYの歌詞についてはまた書きたい。私が数年前からずっと一番書きたいのは、BUGY CRAXONEの歌詞世界における「神様」の存在と、その変化についてなのだが…デビューアルバムの「blanket」から、鈴木由紀子の周りにはいつも、ちょっと腑抜けたかんじの神がいる。このテーマでブログかなんかを書いてるブージーファンの人、どこかにいないだろうか。