村上龍 「歌うクジラ」

読み終えた。
この半年間で読んだ本の中で一番面白かった!おすすめ!

リアルメルヘンってかんじ。
未来のSF話だけど、
想像力が貧困すぎるがゆえにSFが苦手な私でも読みやすかった。



まあ、SFな本筋自体にあまり意味はない、
主題と、そのところどころに挟まれる
村上龍のうんちくや、思考ネタの披露先を提供しているだけだから。
そういう意味では、この一つ前に読んでこれまた面白かった
「心はあなたのもとに」と同じ。
心はあなたのもとに
これも、あらすじを求められると「投資家と病気がちな風俗嬢の不倫話」だけど、
別に不倫自体は主題ではない。
ので、わざと家庭のことはあっさりとしか書かないし、
明らかにぼやかして、メルヘンタッチにしている。そこはあくまで環境設定。
その上に「関与」という大きな主題があって、
他人に対しての「関与」の感覚にも、
人によってこんなにバリエーションがあるよってことを示すために、
西崎がいて、香奈子がいて、ミサキと黒崎がいるだけだから。
「歌うクジラ」の場合は、これから先の未来の、混沌とした世界を
どうやってうまく逃避しながら、うまく生き延びていくか、の選択肢として
いくつかのパターンを示してる。
まあ言ってしまえば、ただそれだけの話なんだけど、でもこれが面白い。


この人、一つの主題を書き切るための、
道具としての人物設定がすごくうまいなぁと思う。
「歌うクジラ」は四年間、「心はあなたのもとに」は三年間の長期連載なのに、
各人物の立ち位置や言動(=主題を示すための道具)が、
最初から最後まで全くブレない。
「心はあなたのもとに」でも、上の四人の書き分けが、ほんと見事。
こういう長編を何年もかけて書ける人ってほんとすごいよなー
プロット力がすごい。作家ってすごいわー。


あ、この本は、紙媒体で読むより、電子書籍で読む方がよりしっくりくるだろうから
端末を持っている人は、是非とも電子書籍で読むことをおすすめします。



以下、なぜだか印象的だった部分。


目の前の光景に魂と言葉を失うな。

それがどんなに恐怖に充ちたものであっても現実から意味を切り離してはいけない。意味を失った現実は遅かれ早かれ死を運んでくる。

そういった状況を生きのびる具体的方法を学んだわけではない。たぶんそんな方法はない。だが、危機的状況には必ず予兆がある。予兆は必ず微細な変化として現れる。どんなに小さいことでも、それまでと違うことが起こったら、それは危険を知らせる信号なのだ。

生まれてからこれまで何度も自分を憎んだ。だが自分を憎んだまま生きるのはむずかしい。だから人間は、自分を憎むのを中断するための方法や手段を考える。きっと人間は無自覚のうちに、そのことだけをずっと考えているのだ。反乱移民の子孫たちのように社会に対して闘いを挑んだり、アンジョウのように自分を憎む過程とその周辺を記録したり、サツキという女のように性的欲望を消費し喪失感に浸ったり、ヨシマツのように自らを歴史と同化させたり、僕を育ててくれた父親のようにデータベースの世界にこもったり、方法はいくつもある。その方法がその人の人生なのだ。

どんなことをしても、続けるうちに飽きるに決まっているし、興奮物質が涸れると性的行為は苦痛になる。つまり、離ればなれになるのがいやだからと、あなたを切り刻んでミイラにして保存しても意味がない。つまり、わたしはあるとき、気がついたの。取り戻せない時間と、永遠には共存し合えない他者という、支配も制御もできないものがこの世には少なくとも二つあることを、長い長い自分の人生で繰り返し確認しているだけなのだって、わたしは気づいたの。

生物学上の父親と母親を、子どもは選ぶことができない。だから、誰が生物学上の親かということには大して意味が無い。誰の精子卵子によって生を受けたかより、生まれたあと誰に出会うかということのほうがより重要だ。

生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動が、すべてを生み出すのだ。