是枝裕和・「そして父になる」

三連休初日。ちょっと前に話題になってた是枝裕和監督の映画「そして父になる」を観てきました。

一貫して、意味のある構図が続く美しい映像だった。



血縁とか、父性とかは私のこの10年のテーマだったのでちょうどいい題材だった。

産んだ子を取るのか、育てた子を取るのか(自分の遺伝子を受け継いでいる子を取るのか、6年間自分の手で育ててきた子を取るのか)という表面上のテーマについては、今の私には当事者意識がなさすぎて何とも言い難い。


でもこの映画の本当の主題は「親は、物理的に子供を産むことによって親になるわけではない」、これに尽きると思う。

そりゃ生物学的にも世間的にも戸籍登録上も、産んだときもしくは受精したときから親は親なんだけど、子育てだけを専門でやって、やり続けて生きていくわけではない人間が、社会的にいつ親に「なる」のかというと、やっぱり産んだ後なんだろうなあって思う。


私も子供の頃はそんなこと気がつかなくて、親は親で、子供の自分とは違う生き物である立派な大人だと思っていた。子供の頃というか、下手したら10代前半くらいまではそういう幻想があったかもしれない。

だけど自分が今、子供を持つ世代になってみると、そんなことないってことがはっきりとわかる。いい歳しているけれど、自分はたしかに子供の延長線上にある同じ生き物で、今妊娠して一年弱後に自分で子供を産んだところで、はい産んだ、はいじゃあ親のモードに入ります、完全にスイッチ切り替えます、ってのは無理だろうなあって。

妊娠発覚からもう数か月経ってるよね、自分のお腹が大きくなっていくのを毎日見てたよね、自分のお腹痛めて産んだしその瞬間も見たよね、自分で決めたことだし半年以上も準備期間があったんだから、もう自覚も知識も十分だよね、はいじゃあ親としての役割完璧にできるよね、と言われたら、いやいやいや、となると思う。男の人なんて尚更だよ。

だけど他人から見ていたらやっぱり親は親で、子供にとっての唯一、唯二の存在に見える。その人の親としての経験値や能力や自覚の大小に関わらず、一人前の親として扱われるし、それができていないと「親なのに…」という違和感や不安感を抱かれる。

その差の部分に、高度な社会的環境の中で子育てをしていかなくてはならない人間の親の難しさがあるんだろうな。


第一子でもあまり戸惑いなく子育てをできる人もいれば、なかなか思うようにできない人もいて、それはその人の向き不向き、言ってしまえば持ち前の能力や、運も多分に含んだ外部環境による。何事もそうであって、やり方も人それぞれなのは普通に考えたら当たり前のことなんだけど、子育てにおいてはそれが当たり前ではなくなっていて、産んだ以上、親として完璧な振る舞いをすることが求められがち。子育てにおいて何が正しくて、どうしたら完璧かという唯一解もないのに。いわば、世間が親という存在を過剰に神格化している。

親を神格化してもいいのは、他人の庇護を受けないと生存できない子供だけなんだと思う。他人が、親としての自覚や、母性や父性を勝手に神格化して、他の人間に押し付けるべきではないんだろうね。



父性は龍の小説やエッセイにも繰り返し取り上げられているテーマだし、おそらく私は今後の人生もよくも悪くもこのテーマに縛られて生きていくだろうから、この先も考え続けていきたい。



予告編は、日本の一般公開前のものと、外国のコンペ向けかなんかのものと2種類あって、私は後者の方が断然構成がいいなあと思ったのでそっちを貼っておきます。

Like Father Like Son (そして父になる) 2013 Trailer - YouTube

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