村上龍 「最後の家族」

今年一冊目に読んだ本、大正解だったー!

最後の家族

最後の家族

読んでて、あれ、これ村上龍だよね??と途中で思ってしまうほど
吉田修一っぽい小説だった。
モチーフも展開もオチも、四人それぞれからの視点も、修一っぽいー。
修一の小説では、
高度経済成長時代のままの働き方をしているサラリーマンの男性は
作中で大抵リストラなど社会や会社からの庇護を失うという目に遭って、
一方で、その男性に暴力振るわれたりととばっちり受けてた妻やパートナーの女性は
作品の最後で自立して新たな人生を歩むことが多いような気がするんだけど
これもまさにそんなかんじの作品。
まあ、この作品では最後には夫も家族から自立する(せざるを得なかった)んだけど
全体通して、基本的には女に甘い作り。
これ系の本では、修一の作品でも龍の作品でも、
男の方が(危機に対する)知能指数が低めに描かれるので
男性が読むとイラっとするかもね…
まあ、今作においては
「自分が家族を『守る』または『救う』つもりでいたけれど 
 実は『支配している』だけだった(古い)父親像」
を、全編通して示す必要があるので
馬鹿めに書かれるのも、やむを得ないかも。


テーマは「家族からの個々の自立」なんだけど
引きこもりとDVがモチーフになっていて、暴力に関する記述が多いので
読んでる途中で「あるあるあるある!!!」と終始頷きっぱなしでありました。
秀吉と秀樹の暴力描写読んでると、自分の父親思い出すし、
知美の思考読んでると、暴力が一番ひどかった頃の自分の思考思い出すし、
市区町村のDV相談センターへの電話の描写読んでると、
あーたしかにこんなかんじでたらい回しになったなーって思い出す。
だから私はこれ系の本が好きなんだろうな。
想像力が著しく低いので、自分が経験した範囲の文章の方が面白く読めるんだよねー
龍のトラウマ・暴力ネタにせよ、修一の新宿・飯田橋界隈ネタにせよ。



以下、私が身にしみて「激しく同意」な部分を作中から一部抜粋。

 「DVというのは、救うとか救われるとかいったことでは、決して解決しないんです。いいですか。あなたが、半ば力ずくで、その女性を逃がしたとしましょう。
 つまりですね。暴力が行われているときに警察を呼んで、あなたが証言して、彼女を、どこか緊急避難所に逃すとします。そうしたら、一〇〇パーセント、彼女は加害者のところへ戻ります。彼女に、家を出るという意志がないからです。また、彼女に孤独に耐える力がないからです。結婚でも同棲でも、女性がその家を出るというのは大変なことなんです。
 みんな言いますよ、そんなにひどく殴られて、どうして逃げないんだって。忘れてはいけないのは、そこが彼女の家だということです。その家以外での生活をイメージするのは簡単じゃないですよ。出ていくという概念を持つことが非常にむずかしいんです。加害者に経済的に支配されていることが多いですから、電車賃もない人だっています。だから、家を出るときには、他の人の指示ではなく、自分は家を出るんだという自覚が必要なんです

 「ちょっと失礼なことを言いますが、あなたの中には、彼女を救い出して、彼女と一緒に時間を過ごしたいという欲求はありませんか?」
  (中略)
 「そういう欲求は、あります」
  (中略)
 「内山さんが彼女と一緒に住むとします。あなたは、かなりの確率で彼女に暴力をふるうようになるはずです。一緒に住まなくても、同じことです。その場合は、電話とか、ストーキングとかですけどね」
  (中略)
 「女性を救いたいというのは、DVの第一歩なんです。救いたいという思いは、案外簡単に暴力につながります。それは、相手を、対等な人間として見ていないからです。対等な人間関係には、救いたいというような欲求はありません。彼女は可哀相な人だ。だからぼくが救わなければいけない。ぼくがいないと彼女は不幸なままだ。ぼくがいないと彼女はダメになる。ぼくがいるから彼女は生きていける。ぼくがいなければ彼女は生きていけない。
 そういう風に思うのは、他人を支配したいという欲求があるからなんです。そういう欲求がですね、ぼくがいなければ生きていけないくせに、あいつのあの態度はなんだ、という風に変わるのは時間の問題なんですよ。他人を救いたいという欲求と、支配したいという欲求は、実は同じです。そういう欲求を持つ人は、その人自身も深く傷ついている場合が多いんです。そういう人は、相手を救うことで、救われようとします。でも、その人自身が、心の深いところで、自分は救われるはずがないと思っている場合がほとんどなんです。自分は救われることがないという思いが、他人への依存に変わるんです」

「おかあさんは、あなたのためにいろいろな人と話すうちに、自立したんじゃないでしょうか。親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです」

以下は、あとがきでの村上ドラゴンさんのお言葉

 この小説は、救う・救われるという人間関係を疑うところから出発している。誰かを救うことで自分も救われる、というような常識がこの社会に蔓延しているが、その弊害は大きい。そういった考え方は自立を阻害する場合がある。